・「補助輪」ってものが、自転車にはついていて、
これがあるから安心して走れる、というところから、
自転車に乗ることの練習ははじまるわけだ。
ぼく自身は、親の方針だったのか、
「補助輪はいらない」という教え方をされた。
じぶんの子どもについては、
すぐに漕ぎ出す楽しみを味わわせてやりたかったので、
補助輪をつけて自転車に乗せることになった。
「明日、補助輪をとろうな」という日が来て、
子どもは、ものすごくうれしそうにしていた。
うれしそうにしているだけあって、
補助輪をとってから、ほんの10分も経ったら、
すうっと乗れるようになった。
「補助輪をとるのはいやだ」と子どもが言ってたら、
たぶん、乗れるようになるのに苦労したろう。
補助輪なしでうまく自転車に乗れるようになったとき、
それを操縦している子どもは、けらけら笑う。
ああいうものを見ている時間がもらえるから、
親をやってるのは、おもしろいのだなぁと思った。
・おとなになっても、いくつもの「補助輪」がある。
つまり、それがないと自立できないようなもの。
時には、先輩が補助輪にあたるのかもしれない。
人によっては、アイドルが補助輪だったりもする。
誰よりも新しい知識が補助輪だということもあるだろう。
恋人が補助輪だということも、きっとあると思う。
マンガが補助輪、テレビが補助輪、本が補助輪。
外すに外せないと思いこんでいる補助輪が、
おとなにも、いっぱいあるものだ。
じぶん自身の一部だとか、
じぶんと一体化していると思いこんでいるけれど、
それが補助輪だということも、けっこうあるだろう。
「それがなくても、わたしは立って歩いていける」
ほんとは、そういうものばかりなのだ。
ぼくの写真を特別なカメラで撮ったらさ、
役にも立たないちっちゃい補助輪が、
からだのあちこちにクリスマス飾りのように、
いっぱいくっついていたよ‥‥なんてね。