・忙しそうにしていることのメリットは、
 たしかにあります。
 「あの人は忙しそうだから、話しかけちゃわるいな」と、
 人が気をつかってくれるのです。
 だから、「人に気をつかわせたい」と思うなら、
 忙しそうにしているにかぎります。  ぼくは、告白しますけれど、
 若いときから、いや、子どものころから、
 いまに至るまで、ずっと、
 意識的にかどうかは別にして、
 「忙しそう」にして同情を買ってまいりました。
 そうすると、人は、
 「もうしわけなさそう」に仕事を頼んでくれます。
 つまりは、甘えられるというわけですね。
 
 でもねー、そういうふうにしてて、
 いいことは、まったくないんじゃないでしょうかね。
 
・なにか頼むのに声をかけやすい人っているでしょう。
 それは、渋い顔している人からしたら、
 「なめられてるんじゃね?」と思うかもしれませんが、
 すばらしいことなんじゃないかなぁ。
 「機会」がすべてなんですよね、なにごとも。
 いい「機会」ばかり待っていたって、
 そんなのしょっちゅうあるわけがない。
 ろくでもない「機会」や、たいしたことない「機会」が、
 どれだけ得られるかが、経験なんですよね。 ・その一方で、なんでもかんでも引き受けていたら、
 じっくりやることだとか、真剣に取り組むことが、
 おろそかになっちゃいますよね。
 さてさて、「機会」を増やすことと、
 「質のいい仕事」を求めることのバランスとは?
 
 その答えは‥‥ぼくも知らない。
 わかっていたら、もっと成長していたでしょうね。
 人生は、いつも、道半ばでございます。
 ほんとに、わからないんですよ、そこらへんが‥‥。